ペリーは日本に白旗の意味を教えにやってきた!?


運動会ってのは白組と紅組に分かれて戦いますね。

これは源平合戦の名残りなのです。

白組は源氏、紅組は平家、だから白旗は源氏の旗なのです。

「1853年夏、ペリー率いる、アメリカの4隻の軍艦が、浦賀(神奈川県横須賀市)の沖に現れました。ペリーは、友好と貿易を求める大統領の手紙をもって、幕府に強く開国を迫りました。」

これが小学校の社会科の標準的な記載だと思います。

実は、この時ペリーが幕府に渡したのは、大統領の手紙だけではありませんでした。

いよいよ日米双方が面会するというその日、奉行所の役人がアメリカから渡された箱を開けてみると、中に二本の白旗があり、一通の手紙が添えられていました。

その手紙にはおおよそ次のように書かれていました。

(松本健一『白旗伝説』新潮社)

「日本が鎖国の国法を盾に通商を認めないのは天の道理に背き、その罪は大きい。通商を開くことをあくまで承知しないならば、我々は武力によってその罪を正す。日本も国法を盾に防戦するが良い。戦争になればこちらが勝つのは決まっている。降伏するときは贈っておいた白旗を押し立てよ。そうしたら砲撃をやめ和睦をすることにしよう。」

実際にペリー艦隊はすでに砲門を陸に向けていつでも火を吹けるように準備していました。

結局、この後日本は、関税の額や割合を独自に決める事はできず、外国人の犯罪を日本側で裁くこともできない不平等な条約を欧米諸国と結ばざるを得ませんでした。

日本が武力によって屈辱させられた事は、当時の日本人、とりわけ誇り高い武士達にとっては屈辱的な事でした。

しかし、日本の指導者達は、当時の国際社会の掟を受け入れて、いかに不平等な条約であろうとも忠実に守りました。

そして、西洋の文明を取り入れて豊かな強い国にした上で、あくまで交渉によって条約を改正しようと考えました。

そして日本は明治維新に進んでいくのです。

もともと源氏の旗である白旗が降伏のサインであることを日本人はこのとき初めて知ったのです。

それから約90年後、日本はアメリカと激しい戦争をして負けました。

だから、アメリカの歴史教科書には「日本は二度降伏した」と記載されているものもあるそうです。

(藤岡信勝 『教科書が教えない歴史』産経新聞社)

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